糸井重里のTwitter論まとめ(敬称略)

May 17, 2010

僕の一番好きなコピーライターは、
一番好きなRPG、mother2を初めてプレイした小4の頃から、
現在までずっと、糸井重里なんです。
motherシリーズは、糸井重里がゲームデザインを手がけています)

そんな糸井重里が、Twitterを始めるのはいつなんだろう、と昔から思っておりました。

ただ、糸井重里率いるほぼ日刊イトイ新聞
12年前からWEBのトレンドに全然ついていこうとしていないのです。

10ヶ月くらい前に、ほぼ日で糸井重里はこんなことを言っています。

なんでも遅れ遅れに「あ、そういうものなの」と
 気づくワタクシですけれど、
 このごろは「ついったー」らしいですね。
<中略>
 これからは軽くて速くてよく届く「メルマガ」だよーっ、
 というムードが強くなってきました。
 そういうことも、あるのかもしれない。
 ぼくらも、ちょっと採り入れようとなりました。
 でも、やってることは「ホームページ」の時代のまま。

 さらに、その次は「ブログ」でした。
<中略>
 「けっこうです」と、セールスマンを断る主婦のように、
 理由も説明することなく、そのままにしました。
 このごろは、「ブログのほうがいいですよ」という
 強いお誘いは、なくなりましたので穏やかです。
 
 やっと落ちついたところに、「ついったー」です。
 「ほぼ日」がはじまってから、今日まで、
 ネットのさまざまな進化には、のろのろついていって、
 手間がかかりすぎるようだったらあきらめて、
 というやり方で生きてまいりました。
 「Twitter(ついったー)」についても、それですね。
 なんたって、いまごろケイタイのことについて
 研究しているくらいですから、「ほぼ日」って。
 小中学生でもわかるくらいのことを、
 大人がやっていくということかもしれませんね。

糸井重里、Twitterの存在は知っていたみたいですが、
この時点ではまだ、始める気配は全くありませんでした。

そこから、10ヶ月後、ついに糸井重里がTwitter始めたのです。

Twitterを始めた経緯について、
1週間前のほぼ日で、こういうふうに言っています。

日経BPの柳瀬さんと話していて、
「おれ、ツイッターやってみるよ、及び腰で」と、
宣言してしまいました。
「ぷーぷーと、考えをおならのように漏らしていては
いけないのではないか」という考えはあります。
あと、「ツイッターに追われるような生活」についても、
気をつけなきゃなぁとも思っています。
なので、お試し期間みたいにして、
へたくそにいいかげんに、やってみようかと思ってます。
おたのしみいただけるような「おならの音楽」が、
果たして演奏できるのか、できないのか、できないか?

Twitterのつぶやきを、「おなら」に喩えるなんて、
糸井重里らしい、というか、なんというか。

そこらへんのおっさんが、Twitterを「おなら」に喩えたら、
きっと、「頭おかしいんじゃないの?」ってなるでしょうね。
糸井重里(61)がそれを言ってもそうはならないのは、
やっぱり、糸井重里だから、なんだろうなぁ。

Twitterを開始した翌日には、こんなことを言っています。

やっぱりツイッターをはじめました、ということからね。
 ついついつーだららったつらつらついっついっついー。
 友人知人のさえずりは聞いてましたから、
 見たことのない景色ではなかったのですが、
 なにせ「ツイッターに追われないように」と、
 強く思ってやりはじめたものですから、
 新入生歓迎会に参加している地方出身の大学生みたいな、
 エレベーターのなかで天井見つめちゃう人みたいな、
 女性のいるクラブのソファに座ってどうしようみたいな、
 目ばっかりきょろきょろしている時間が過ぎました。
 
 ツイッターについて、
 かつて坂本美雨ちゃんに言ったことは、
 じぶんにも言えるわけでして、
 声になりそうなものを、こころに溜めて
 思いや考えを熟成することの大事さを、
 忘れないようにしたいと思います。
 吉本隆明さんの言ってくれたように、
 「沈黙」こそがことばの根であり幹ですからね。
 
 それにしても、初日は、なれるのも仕事ですから、
 けっこう「おならぷーぷー」もらす回数も多めでした。

・「ほぼ日」で書くことって、はじめたてのころは、
 まだまとめられない思いつきを、そのまま出せるんだ、
 といううれしさがもっとあったんですよね。
 だけど、それなりに「マナー」や「ルール」を知ると、
 ガキの時代のキャッキャいうようなうれしさが、
 失われてもいくわけでしてね。
 ツイッターで少々乱暴モードをたのしんで、
 その気分を「ほぼ日」に輸入したり、
 「ほぼ日」で実現したいことを、
 ツイッターのほうのぼくが「パシリ」でやったり、
 そういう自己交流戦がやれたらいいなぁと思います。
 あと、ほぼ同時期に、
 「ほぼ日」のツイッターも始まってます。
 もとフリーのC級コピーライターだった血が騒いで、
 「ほぼ日」のツイッターに対して、
 少々のライバル意識もあります。
 負けねぇぞ、みたいなね。でも、両方、よろしくです。 

「声になりそうなものを、こころに溜めて思いや考えを熟成することの大事さ」
「ことば」を売り物にしている糸井重里のことば、説得力ありますね。

それから3日後には、こんなことを言っています。

みずから開店お祝いキャンペーンと称して、
 はじめたばかりの「ツイッター」を、
 けっこうまめに読んだり書いたりしてるんですけどね。
 まだ、ほんの入り口でどたばたしてるだけですから、
 なんにもわかっちゃいないのですが、
 やっぱし「つぶやき」っていう訳が、
 ツイッターの枠組みを限定しちゃったのかもしれないね。
 なにしろ「つぶやき」だからってことで、
 「つぶやき」ということばの定義を守ろうとして、
 ああでなきゃこうでなきゃ、って考えてる人も、
 けっこういるんじゃないかなぁ。
 「ツイッター」の初心者のぼくにとっては、
 「つぶやき」とはなんぞやなんて、どうでもいいんです。
 ああいう場があって、人たちがいて、
 集まったり散ったり、びっくりしたり笑ったり、
 そういう「自由意思を持った人々によるマスゲーム」が、
 おもしろいなぁと思っています。
 
 ぼくは、ひとりでもふたりでも、
 せっかく読んでくれる人がいるんだから、
 その読み手との間をつなぐ「粒子」があるといいな、
 ってね、思ってるんですけどね。
 だから、なにかしらのアイディアかけらとか、
 なにかしらの思いとか、仮説とか、感覚表現とか、
 仕掛けだとか、物語だとか、文体だとか‥‥なにかの粒。
 (粒を焼いて食わせるから「粒焼き」だったりしてね)
 ぼくが「ツイッター」をおならに喩えるのも、
 おならって、材料と過程とが必要じゃないですか。
 そして、それをする個人とね。
 そこらへん、いまのところ、しつこくやっていきます。

「おなら」に喩えている理由についても述べています。
「粒焼き」という表現、グッときました。
糸井重里が言うと親父ギャグにならない。
(前後の文脈もふまえてのことだけれど)

そして、今日のほぼ日では、こう言っています。

ツイッターの「開店増量キャンペーン」を、
 一段落させてみようと思っていますが、
 ついつい、手を出しちゃうんですよね。
 これが怖れていた「ツイッター中毒」かもしれない。
 「そのとき・その場」の大切を忘れて、
 にぎやかに見える別の広場のほうに顔を向けてしまう。
 これはアカンのだと思います。
 なにしろ、大事なのは「その場」です。

ツイッターの中毒性を理解して、体験した上で、
「その場の大切さを忘れちゃダメだよ」、と。
糸井重里が、自分自身に言っているように聞こえますが、
これはきっと、ツイッター中毒になってる
ヘビーユーザーに向けての苦言だと思っいてます。

まだTwitter 始めて1週間しか経っていないのに、
なんとも濃い、Twitter論。
今後、糸井重里がTwitterをどう活用していくのか、
とても楽しみです。

糸井 重里 (itoi_shigesato) on Twitter

白坂翔
白坂翔

1984年生まれ。ボードゲームカフェJELLY JELLY CAFEオーナー、将棋カフェCOBINオーナー、マーダーミステリー専門店Rabbitholeプロデューサー、株式会社人狼の代表取締役。ポーカーとゴルフが好きです。MORE

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